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ガラパゴス(GALAPAGOS)は、かつて存在していた日本のバンドである。 == 概要 == 「イカ天」に象徴される折からのバンドブームであったが、ジャングルビートという当時の売れ線の主流から外れた独自サウンドを展開。 ほとんどの楽曲をベース担当の上西泰史が手がけており、アルバム『DOWN BY LAW』のジャングルビートは、80年代に活躍した英国バンドアダム&ジ・アンツやBOW WOW WOWの影響を大きく受けていると思われる。 ガラパゴスはメジャーデビュー前にもかかわらず300人を超える動員を集め渋谷クワトロや川崎クラブチッタなどライブを中心に活動していた。 大手レコード会社からの争奪戦の末、ボーカル狩野環の実兄である布袋寅泰の事務所IRc2コーポレーションに所属する事となり東芝EMIからのデビューを果たした。 当初アルバム一枚で解散の予定だったが、東芝EMIの思惑から以降『FLOWERS』『HONEY PIE』とオリジナルアルバムは3枚までリリースされた。 ボーカルの狩野環が布袋寅泰の実妹であることは意外に知られておらず、ガラパゴス解散後は新たにSUPER EGOを結成。後に同バンドのドラマーと結婚した。 彼女の第一子は女児でハナと命名されるが、この名前を兄の布袋寅泰はジーザス・ジョーンズのマイク・エドワーズの女児にセカンドネームとして贈った。山下久美子や今井美樹、相川七瀬の楽曲にもコーラスで参加している。 ギターの田中詠司はガラパゴス解散後、一時期PERSONZに加入。PERSONZも脱退したあとは、SWEET NUMBER NINEに在籍している。 ベースの上西泰史はガラパゴス解散後、ゲームミュージックの作曲やクニイリツコの編曲を手がけたり、アンビエントノイズバンドLOAD PLANET I.D.に参加していた。 現在はコアメダリクスやRama Amoebaのメンバーとして活動中。 ドラムの飯塚徹は解散後の1994年頃に松井常松のツアーに参加していたが、その後の消息は不明。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ガラパゴス (バンド)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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